長沢芦雪(1754–1799年)は、下級武士の家に生まれて地方の大名に仕えたのち、京都に出て、円山応挙に弟子入りして絵を学んだ。しかし個性的な性格や絵画手法の違いから、応挙一門における厳しい師弟関係や形式ばった修行になじむことができず、有力な弟子であったにも拘わらず、間もなく独立する。師・応挙は、墨のにじみやぼかしを活かした新しい絵画表現を生み出したが、芦雪はその可能性をさらに押し広げ、あふれる情熱と才能を絵筆に託して我が道を切り開いた。当時、折々に出版されていた、京都で活躍する文化人の人名録『平安人物志』に初めて名前が載った1782年には、すでに京都を代表する画家のひとりとなっていた。多種多様な絵画表現を自在に操り、大胆で遊び心に満ちた作品で京都の町人を魅了して人気を博した。